由布岳は豊後富士と呼ばれ、由布院盆地から仰ぎ見る山体は美しい。由布院温泉の露天風呂からも眺められる。東に聳える鶴見岳との恋物語は、往時の民衆の中から産まれた「おらが国自慢」の好例。祖母山、久住山、富士山などと語られます。
由布岳はナルシスト
別府市天間に伝わるお話。
この地は由布岳を眺めるのによい場所であった。
豊後国(現大分県)を訪れていた西行法師は、それを聞いた天間へとやってきた。
素晴らしい山並みを見た西行法師(※1)は、
「豊国の由布の高根は富士に似て、雲も霞もわかぬなりけり」と詠じた。
その声が聞こえたのか、由布岳が火柱を上げて噴火を始め、黒煙が立ち上り、真っ赤な石を四方に降らせ始めた。
それに驚いた西行法師は、「富士に似て…」が気に入らず由布岳を怒らせてしまったと思い、
「駿河なる富士の高根は由布に似て、雲も霞もわかぬなりけり」と慌てて歌を詠み変えた。
するとそれが聞こえたのか、由布岳の噴火は静まったという。
由布岳の背比べ
ある時の事です、由布岳に背比べを申し込んできた山がありました。
豊後国のお隣の日向国(現宮崎県)にあった日向岳です。
日向岳は毎日のように「我こそが一番である」と、威張り散らしており、そのせいか廻りの山々から嫌われていたそうです。
何時かやり返してやりたいと思っていた山々に、豊後国は由布岳の話が届きました。
これは面白いことになりそうだと、
「日向岳よ、俺たちの前でそんなに威張っても豊後の由布岳には敵うまいよ。どうだ、背比べにいってみたら」
そう日向岳をけしかけました。
「なんのなんの、由布岳如き」
と乗せられた日向岳は、のっしのっしと自慢気に由布岳のところへとやってきました。
ところがどっこい、由布岳は聞いた話どころではありませんでした。
その高さといい、大きさといい日向岳の敵うものではなく、自慢だった背丈は由布岳の腰の辺りにも及びません。
思わず由布岳の横で腰を抜かしてしまい、
「ぐぐぐ、このまま故郷に帰っては面目もたたぬ」
といってこの地に腰を据え、由布岳の手下になったということです。
こんなことがあったため、日向岳は別名腰抜山とも呼ばれております。
一途でイケメン由布岳の恋物語
人に男女の別があるように、山にも男女の別がございます。
静かな別府湾の海にその姿を映す鶴見岳は、それは若く美しい女山として広く知られておりました。
山の頂きにたなびく真っ白な雲。
海風にそぞろざわめく木の葉の揺らめきは、まるで乙女の髪の如くでありました。
さて、この美しい鶴見岳を男山である祖母山と由布岳が好きになってしまいました。
どちらの山も若く逞しい男山でありました。
由布岳は鶴見岳の側に居るということで、とても親切じゃったし、よく話しかけたそうです。
一方の祖母山は遠く南から鶴見岳の好きなお土産を持って通い、楽し気に話しかけたそうでございます。
鶴見岳の方はいつも何も言わずに、静かにわらっているだけでした。
ある時の事、二つの男山は何とか鶴見岳の心を自分に向けようと、それぞれの自慢を語り始めたそうです。
祖母山は、
「どうだ、この腕は。力ならどんな山にも負けはせぬ」
と自らの力自慢。
由布岳は、
「この姿を見てください。あの富士の山に勝るとも、劣るとは思いもしない」
と自らのイケメンぶりを自慢する。
ただ鶴見岳は優し気に微笑んで、二つの男山の話を、静かに聞いているだけでした。
しびれを切らした祖母山と由布岳は、ついに取っ組み合いの喧嘩を始めました。
祖母山の方はイケメンでは無かったが、自慢する通りのカ持ち。
「お主如き俺の相手にならん、ひっこんでおれ!」
そう言って身体を由布岳にぶつけて、どどど、どどどと押しまくります。
「くそぉ! 負けてたまるもんか」
由布岳の方もここで負けてはおられぬと、顔を真っ赤にして祖母山を受け止めました。
「おおおっ!」
「なんの!」
どちらも好きでたまらぬ鶴見岳を相手に奪われるわけにはいかず、死にもの狂いで争いました。
何日も何日もその喧嘩は続きました。
どちらも、へとへとになるまで戦い続けましたが、勝負はどうしてもつきませんでした。
「こうなれば仕方あるまい、どちらを選ぶか鶴見岳にき決めてもらおうではないか」
「ああ、それで良いでしょう、恨みっこなしですよ」
と祖母山と由布岳は鶴見岳に選んでもらうことに決めました。
鶴見岳は困りました。
どちらの山にもそれぞれ良いところがありましたから。
祖母山は、気は優しくて力持ちタイプで頼りになる男山。
由布岳は、気遣いのできるイケメンな男山。
鶴見岳は迷いました。
しかしこのままではどうしようもないと思い決心します。
そして、気遣いのできるイケメンな由布岳を鶴見岳は選んだのです。
「なぜ由布岳なんだ…」
祖母山は大つぶの涙をポロポロと落とし、幾日も泣き暮れ貯まった涙でできたのが志高湖だと言います。
より親密さを増した鶴見岳と由布岳にその姿を見られるのはいやだったのでしょう、祖母山は二人の目に入らない遠い南へと去っていきました。
そして、誰にも見られないよう身体中に大きな木を繁らせて姿を隠したそうです。
祖母山が去った後も鶴見岳と由布岳は毎日仲良く暮らしておりました。
二人の仲は周囲の山々も羨むほど熱かったそうです。
そのせいでしょういか、別府と由布院には熱い温泉が今も溢れるほどに湧いているということです。
鶴見岳を巡る恋の行方第二幕
※内容が幾分新しく、祖母山の話とも被るため抜粋しておきます。
由布岳(♂)と鶴見岳(♀)は幼馴染で、密かに思いを寄せていた。
そこに九州一の高さの久住山(※3)が現れ、ミヤマキリシマの花束をもって日参。
余りの熱心さに鶴見岳は心が揺れる。
慌てた由布岳がミヤマキリシマに加えて、エヒメアヤメ、サクラソウなどで作った花束でアピール。
「この方しかいないわ!」と鶴見岳陥落し夫婦に。
それを知った久住山は涙を流して西へ去り、その跡が志高湖になる。
幸せに暮らした由布岳と鶴見岳には扇山という子が産まれた。
本文註
※1)西行法師
西行は出家した法名で、俗名は佐藤義清と言う。平安末期から鎌倉初期の歌人として知られる。
しばしば諸国を巡る漂泊の旅に出て多くの和歌を残したおかげか、全国にて逸話、伝説が語られる。
※2)祖母山
大分宮崎県境にあり日本百名山に選ばれている。神話に伝説に数多く登場し、山への信仰も篤いものがあった。
※3)久住山
大分県竹田市久住町にある「くじゅう連山」の主峰で、ミヤマキリシマは「坊がつる讃歌」でも有名。
由布岳伝説の解説
場所 大分県由布市、別府市
時代 神話以前
話型 山岳伝説
由布岳とは
豊後富士と呼ばれ、温泉街で人気の由布院からの眺めは素晴らしい。
『古事記』や『豊後国風土記』にもその名が見られ、「柚冨峯」と記されている。
また、由布院盆地にある宇奈岐日女神社の祭神でもあった。
おらが国自慢
由布岳の伝説から、富士にも負けず、日向から来た山との背比べにも勝利し、南の祖母山との恋争いにも勝利するという話を取り上げてみた。山岳伝説の類ではあるものの、すがすがしいほどのおらが国自慢というのが率直な感想である。
背比べ系の山岳伝説では、首を刎ねられたり、傷だらけにされたり等、中々に物騒な話も多い中、子分にするあたりはイケメン・ナルシスト由布岳の本領発揮といったところだろう。
ちなみに日向の山名だが、宮崎県の旧国名から来ているのではない。全国にもみられるが日当たりの良い場所という意味の地名である。
山岳伝説は全国各地にて広く語られる物語であり、わざわざ海外からも背比べにやってきたり、あの富士山ですら近江国から飛んで来たそうでその跡地が琵琶湖であるなど、巨人譚や巨木譚と同じく規模の大きなこと(大法螺とも言う)がその特徴。
語り継いできた村人たちの地域への愛情と広げた風呂敷の大きさに拍手を送りたい。
(2020年1月22日追記)
さすがの由布岳です、久住山にも勝ちました。
九州一やら花束持参したりとかなり現代風味が加味されており、祖母山との伝説を知った上で、随所に変更が加えられたものと推察できます。
大きく時代が移り変わった時伝説が変化する好例として、また伝説は生きているのだとここに取りあげておきました。
参考にした文献及びWEB頁
書籍 梅木秀徳・辺見じゅん 1980年 日本の伝説49 大分の伝説 角川書店 Pp.21-26.
書籍 梅木秀徳 1974年 大分の伝説上巻 大分合同新聞社 Pp.22-27.
電脳 Wikipedia
画像 大分県観光情報公式サイト