おかるの穴 白馬村に伝わる横穴の由来譚

般若のイメージ…

おかるの憂さ晴らし

白馬村の切久保のとある家に、おかるというとても働き者の嫁が来ました。
朝から晩まで食事、洗濯、掃除に野良仕事とそれは一生懸命だったそうです。
夫、姑との仲も睦まじく明るい家庭は近所でも評判だったようで、
「うちの家でも、せめておかるの半分くらいの嫁がほしい」
などと羨まれるほどでした。

ところがある日の事。
おかるがこしらえた味噌汁の味付けで、姑と言い争いになりました。
それからというもの、おかるは姑の悪口を言っては邪魔にし、姑もおかるに辛く当たるようになり、互いに声高で罵り合うようになったのです。
これまでの評判はどこへやら、村でも仲の悪い家として有名になりました。

隣の家の夫婦だけでなく仲人までもやってきておかると姑の間に立ちますが、逆に物まで飛び交う喧嘩に巻き込まれ手の付けようがありません。
この家の前を通るとき、「くわばらくわばら(※1)」、そう言って村人は皆そそくさと通り過ぎました。

ある夜、その日の昼の争いが癪に障って眠れなかったおかる。
どうにかして姑をやり込めようと考えを巡らせ、一つの方法を思いつきます。

翌日の夕方、村の氏神様(※2)にある七道の面のうちもっとも恐ろしい般若の面をこっそりと持ち出しました。

皆が寝静まった夜半過ぎ、おかるは般若の面をつけ、姑の部屋の障子を破って顔をのぞかせ、
「日ごろ、お前は嫁のおかるをいじめるが、今夜はおれが代わって、その恨みを晴らしてやる」と脅したのです。
姑はあまりの恐ろしさに声もです、その場に気絶してしまいました。

氏神様の慈悲

おかるは溜まっていた日ごろの鬱憤も晴れ、朝までもうひと眠りしようと自分の部屋に引き上げました。
般若の面を外そうとしましたが、どうしたことか面は顔にぴたりとくっついて離れません。
おかるは困り、こんな顔を見られては大変だと必死になって外そうとします。
爪を立ててお面をかきむしったため、顔とお面の境や指先には真っ赤な血が滴っていきました。

そうこうしていると、障子がうっすらと白み始め、明けの一番どりの声が聞こえてきました。
おかるは氏神様の祟りではないかと思い始めました。
いくら姑が憎いとはいえ、氏神様の宝物を持ち出したあげく姑を気絶させてしまったのです。
なんと醜いことをしたのだろうか、氏神様の罰が当たっても仕方のないことをしてしまったものだと。

夜が明けてしまえば、「夫や村人にこの姿を見られてしまう」、おかるは焦って外へ飛び出します。
脇目もふらずに走り続けていると、いつの間にか楠川にかかる瀬田の橋の上に行き当たりました。
「身投げをして死んでしまおう」、と流れをのぞきましたが、流れた先で般若の面がついたままの身を晒してしまうこと思うと、踏ん切りがつきません。

橋の上から眺めていると、切り立った岩に身を隠せそうな横穴があることに気づき、
「どうせ死ぬ身、あの中でお迎えを待とう」と、
落ち着いて死を待つ気になったおかるは、岩を伝って横穴にたどりつき、その穴深くに身を隠しました。

一方、おかるの姿が見えなくなった家の者は、わなわな震え続けていた姑から昨夜の話を聞きました。
これはおかるのしわざに違いあるまい、氏神様に行くと七道の面の一つがなくなっています。
あちこちを探してみると、瀬田の橋あたりで足跡が見つかりました。

あの洞穴(ほらあな)に入ったのではなかろうか。
「おかる、いるんじゃろぉ」
「とにかく出ておいで」
と声をかけてみますが返事はありません。
居ないのだろうかと奥を伺うと、お面を付けたまま小さく蹲っているおかるの姿が見えました。

左に見えるのがおかるの穴
おかるの穴、ⓒIna-valley、CC BY 4.0

「おかるよ、いつまでもそうしてないで家に帰ろう。姑様にも謝って、また仲良く暮らせばよい」
そう語りかけますが、
「今までもどれだけそう思ったか、でもどうしても姑様とは仲良くできず、氏神様の罰でしょうお面も取れずにこんな有様です。どうかそっとしておいてくださいませ、皆さまの幸せをお祈りしております」
と涙ながらにおかるは語るので、それ以上は何も言えませんでした。
その後七日ほどは、奥から念仏が聞こえていたそうです。

こういったことがあり、村の人々は楠川の岩穴を「おかるの穴」と言うようになりました。
不思議なことに、どんなに大雨があっても、かるの穴以上まで水かさが増えることはありませんでした。
これは氏神様がせめてものお慈悲と、おかるを水責めから守っておられるのだろうと語り継いだということです。

おかるの穴と七道の面は今もあるそうです。

本文註

※1)くわばらくわばら
「桑原桑原」で、元は雷除けの呪文であった。落雷が頻発する中、桑原という場所には一度も落ちなかったことや菅公(菅原道真)の領地桑原には落雷が無かったことなどに由来するという。
転じて、災難や禍事などが自分の身にふりかからないようにと唱える、まじない。
また、雷神が農家の井戸に落ちて農夫にふたをされ、外に出してもらうために「自分は桑の木が嫌いなので、桑原と唱えたなら二度と落ちない」と誓ったという話もある。
ちなみに、縁起直しの呪いとしては「鶴亀鶴亀」などがある。
長野県の呪文には詳しくないため、こちらを採用した。

※2)氏神様
氏神うじがみとは、同じ地域・集落に住む人々が共同で祀る神のことで、そのほとんどは、神道と考えてよい。
この氏神を祀る神社(氏社という)の周辺に住み、その神を信仰する者を氏子うじこという。

本来は一族一統の神であり、物部氏は須佐之男命・経津主神、三輪氏は大物主神、諏訪氏は建御名方神、安曇氏は綿津見神、宇佐氏や源氏は八幡神を祀る。

現在では、鎮守ちんじゅともほぼ同じ意味で扱われることが多い。
産土神と併せて、旧村落社会を考える上で重要な要素と考える、別掲をたてて紹介したい。

伝説の解説

場所 長野県北安曇郡白馬村北条、切久保
時代 不明
話型 因果応報譚としておく、説話的な要素も強い物語。

嫁姑戦争の果てに

「旦那は何をしてるの!?」
「夫が嫁の味方にならなきゃ!」
「仲の悪い姑のいる家なら出てけばいいじゃん」
現代ならばそういう声があちこちから聞こえてきそうです。

「盆正月に実家に帰りたくない!」と嫁が言えば、
「忙しいときにわざわざ帰ってくるな!」と姑が言う。
そんな記事がどこかのニュースサイトに載っていた気もします。

さて、そんな現代的視点からは離れましょう。
おかるがあのまま山へと入っていけば妖怪化したかもしれません、具体的には山姥などでしょうが、彼女はその道を選びませんでした。
故に氏神様の慈悲を得ることができたのだろうと話は結んでいます。
七道のお面が(おそらく御神楽などで使用と推定)よく分かりませんが、村人の氏神様へ崇敬が伝わります。
現状ではこの神社がどこにあるのか推測できないのは残念、白馬の郷土史に興味のある方に期待しています。

幾つかおかるの話を見ると般若の面と鬼の面という記載がありましたが、ここでは女の恨みという点から般若の面を採用していることを記しておきます。

今も受け継がれるおかるの伝説

おかるの穴の画像を探していますと面白い記述を見ましたので、以下に書き出してみます。

不思議な話はまだ続きは現代にも引き継がれていて、
なぜか楠川上流でおきた遭難事故のほとんどは「おかるの穴」付近で見つかる
(中略)
「おかるの穴」は戸隠に通じていると言う。

白馬ハイランドホテル スタッフブログによる

こう聞いてみると伝説が生きている場所はまだまだありそうです。
野外調査にでるのも遅くはないかも知れませんね。

参考にした文献及びWEB頁

書籍 平林治康・石原きくよ 1982年 塩の道の民話 信濃教育会出版部 Pp.30-35.
電脳 Wikipedia

おかるの穴伝説の周辺地図

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