鑓ヶ岳の山姥 長野県白馬三山に伝わる怪奇譚

白馬三山を眺める

長野県北安曇郡白馬村神城に伝わる不思議な怪奇、妖怪譚。
村に現れたのは少しおかしい女。
その女は後に鑓ヶ岳の山中にて山姥となり村人たちの前に姿を現したという。

山姥になりたい女

北安曇郡白馬村のとある村にみすぼらしい女がふらりと現れました。
村人が声をかけると、
「わしは遠い南から雲に乗って来たのじゃ」
と南の空を指さして応えたそうです。

「何か理由でもあった逃げて来たんじゃねぇのか」
「ただの気狂いじゃろう、どうしたもんかのぅ」
「いやいや、あの吊り上がった眼を見よ。狐憑きに違いねぇ、関わるもんじゃねぇぞ」
そう村人たちは噂をいたしました。

女はただニコニコと笑みを浮かべながら村の中を歩くだけで、特に迷惑をかけるわけではなかったので、気の毒がった村人たちは、外れにあった作小屋を貸すことにしたそうです。
作小屋に住み着いた女は、村人の頼みに応じて仕事を手伝っては食べ物を分けてもらうなど村人たちと打ち解けていきました。

白馬三山しろうまさんざん(※1)に初雪が見え始め、村が秋景色に染まった頃。
作小屋の女の姿は旧に変わりはじめました。
黒かった髪は白くなり、顔には深いしわが刻み込まれ、日に日に老女へと変わっていき、何か呟きながら村の中を歩くようになりました。
心配して話しかけた村人達に、
「わしはこれからやり温泉(※2)の湯滝で修行して、鑓の山姥となるんじゃ」
と答えていました。

「いよいよ、おかしくなってしまったな」
「ああ、気味がわりぃのぉ」
と言って村人達は姿も変わった女に寄り付かなくなりました。
一方、白髪の老女と成り変わった女は、夜な夜な白い麻布の帷子(かたびら)を身に着け、高下駄を履き、何かブツブツと唱えるように歩き回るので、
「夜は外に出ちゃならんぞ」
と子どもらにも注意をしました。

それから、しばらくすると女の姿は作小屋から消えてしまったそうです。
最初は気にしていた村人達も、日々の暮らしの中で女の事を忘れていったようでした。

老女、鑓ヶ岳の山姥となる

その村には、猟師である左吾右衛門さごえもんという男がおりました。
左吾右衛門は鑓温泉の近くに小屋を作り、村と行き来しながらクラシシ(猪の事)や熊を獲って暮らしておりました。

とある雨が降った日の事です。
「こりゃあ、どうにもならんなぁ」
小屋の中で焚火にあたりながら左吾右衛門は残念そうに言い、はばきを繕い、草鞋を編み、鉄砲を磨いたりと明日以降の支度に余念がありませんでした。

突然のことでした。
強い風が吹き付け、小屋の入口の筵がバタバタと鳴りました。
左吾右衛門はまいったなぁと思いながらそちらに顔を向けると、筵が押し上げられ真っ白い着物を着た山姥が顔を覗かせたのです。

山姥は吊り上がった眼をギラギラ光らせ、尖った牙の見える口を大きく開き、
「ここの山は、わしのもんじゃぞぉ!」
そう言い放ちキャババと大声で笑いました。
左吾右衛門は背中に寒いものを感じ、恐怖に指先が震えるのを感じました。
それでも何とか気をしっかりと保ち、鉄砲を掴んで山姥に向けて続けざまに撃ちました。

鉄砲の音が響き終わると入口に居た山姥の姿はありませんでした。
左吾右衛門は震える手で鉄砲を持ちながら外に出てみましたが、雨風が吹き付けるだけで山姥は見当たりません。
すっかり怖気づいてしまった左吾右衛門は、慌てて荷物を纏め山を下りて村へと向かいました。

左吾右衛門が逃げ帰ったという話を聞いた村人たちは、
「あの女、本当に山姥になったのかもしれんなぁ」
鑓ガ岳を見ながらそう語り合ったと言うことです。

さてちょうどその頃、左吾右衛門と入れ替わるように幾人かの村人が鑓温泉に湯治へと出かけておりました。
この鑓温泉は鑓ケ岳の奥深くにあたり山道も険しく、三里(約12km)ほどの道を足が達者な者の米、味噌、野菜などを背負って行かなければなりませんでした。
湯治場へ着いた村人たちは、さっそく小屋と湯舟を仕立てて泊まり込みました。

数日後の朝でした、湯元にあたる黒岩の下で、見慣れぬ白装束姿の山伏らしい人が湯滝にうたれているではありませんか。
「修行も大変じゃのう」
湯治に来ていた村人たちは、そう話しながら支度を整え朝餉を始めました。
そこに先ほどの山伏姿の者が近づいてきましたが、それは恐ろしい顔をした山姥でした。

「このわしは、三、七、二十一日間、湯滝にうたれて修行を済ませたので、今日から白馬鑓の山姥となったぞ、今後はこの山もこの湯もわしのものじゃ!」
耳まで裂けた大きな口で高らかに笑い声をあげると、下に見えた雪渓へと下りそこから一気に頂上へと歩き始めました。
そして、遠く戸隠山から鑓ガ岳へとかかる雲の上を鳥が飛ぶかの如き早さで走り去っていくではありませんか。

村人たちは突然かつ余りの出来事に誰も声を出すこともできずにじっとしていましたが、
「帰った方がいい」
誰言うともなく頷き合い、急いで荷物をまとめて村へと逃げるように帰りました。

猟師左吾右衛門の話や湯治から慌てて戻った村人の話を聞いた村人たちは、
「あの女が山姥になったんじゃなぁ…」
と噂しあったということです。

今でも白馬鑓ヶ岳で登山者が遭難したりすると、この時の山姥の怒りに触れるようなことをしたんじゃろう、ここの村人たちはそう話しております。

物語註

※1)白馬三山
しろうまさんざんと読む。富山県と長野県にまたがる三つの山(白馬岳、杓子岳、白馬鑓ヶ岳)の総称。

※2)鑓温泉
やりおんせん。白馬鑓ヶ岳中腹の標高2100mにある温泉で、現在は山小屋も存在している。
江戸時代から猟師や樵の間に知られていた温泉であるが、文中からもわかる通り人里を遠く離れた山上にあるため、一般的の利用は長らく行われなかったそうである。

※3)はばき
脛巾と書く。すねを保護するために巻くもの。後の脚絆(きゃはん)に当たる物。

山姥伝説の解説

場所 長野県北安曇郡白馬村神城(採集箇所)
時代 不明
話型 人異変化譚としておきます。

山姥あれこれ

日本で語られてきた昔話を本に集めると、河童、鬼、天狗などと並んで間違いなく取り上げられている有名な妖怪。
読み方は、「やまうば」もしくは「やまんば」だが、後者の方が通りがよいのではと思う。
山女、山母、山姫、山女郎などとも呼ばれ土地毎に色々な姿、背景を見せてくれるように、悪意の塊であったり家の守護神として祀られたりしている事は記しておきたい。

多くの人がすぐに頭に浮かぶだろうと思うのは『三枚の御札』のお話で、小僧が山姥に追いかけられ三枚の御札を使って助かるというものだが、個人的には遠野物語の「寒戸のババ」や高知県旧鏡村の「山姥の滝」などの話が頭をよぎる。

余談であるが、以前に見られたガングロから発展したヤマンバとは全く異なっているのだが、中央ではなく周辺に棲息し馬鹿にされる感じで名づけられたと聞くと、なにか山姥が今世に蘇ったという気もするから不思議なものだ。

老女から山姥への変化

基本的に恐ろしい形式の話が多い中、直接村人には危害を加えていないというこの話の山姥。
ここで鍵となるのはやはり、湯滝にうたれて修行した上で「鑓の山姥」となったという点。

多くの話の中で女が不幸な身の上で山に入り山姥になったとしか描かれていませんが、ここでは一歩踏み込んで儀式(修行を積むことで)により人ならざる不思議な力を持つ山姥へと変化している。
白装束に山伏など呪力を持つ象徴的な物を介在させ、まるで神上がりしたように感じさせる。

山姥を研究していく上では、見逃せない話だろう。
なお、この話型を人狼変身譚、竜蛇変身譚などから、人が異人(人ならざる者)に変化するということで、人異変化譚と新たに作ってみました。

参考にした文献及びWEB頁

書籍 平林治康・石原きくよ 1982年 塩の道の民話 信濃教育会出版部 Pp.42-46.
電脳 Wikipedia 

山姥伝説の周辺地図

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