おくら堤 人柱に立った娘と水底から響く機を織る音

山形県蔵王ドッコ沼、おくらを想像して

おくらの思い

出羽国北村山郡大倉村(現山形県村山市大倉)に伝わる悲しいお話です。

昔からこのあたりは水の便が悪く村人たちは困っていました。
やっとの思いで田植えを終わらせても、三日、四日と日照りとなれば、田んぼは乾き苗も枯れるとのこと。
そこで、村人たちは南側の谷から流れる川の水を堰き止め、堤を築いて溜池を作りました。

これで一安心かと思いましたが、堤と南側の山との間がもろく、大雨が続くとここから崩れるのです。
村人たちはこの出水(※1)に悩まされながらも日々を過ごしておりましたが、ある年のこと今までにない大雨が降ると、再び堤が切れて大洪水となり、遠く下流の長瀞(最上川との合流付近)まで被害を及ぼしたということです。
村人たちは切れた堤の場所に集まり、呆然と眺めるしかありませんでした。

それでもじっとしているわけにもいかず、村の主だった者に若者も交じって寄り合いが始まりました。
「どうすればいいんかのぉ、毎年毎年のように出水になるし」
「神様もお怒りかも知らんが、直すだけでも面倒じゃ。」
「んでも、この水がねぇと米がつくれねぇ…」
解決策が出るでもなく、ただ愚痴の言い合いに終始していた時のことです。

村一番の美人と言われるおくらという娘が、皆の前に進み出てきっぱりと言い放ちました。
「おらが人柱(※2)に立つ」
いつも大人しくしとやかな娘の言葉に、座は一瞬にして静まり返りました。
「おらが神様の怒りを和らげ、この堤をずっと守ってみせましょう」

おくらは、皆の返事を待つこともなく、溜池へと走って行くではありませんか。
突然のことに村人たちは反応が遅れ慌てて止めようと追いかけましたが、おくらの身は既に池の奥深くに消えていました。

堤から聞こえる音

おくらの思いに応えるべく、村人たちは総出で堤を築き直しました。
新しくなった堤はどんな大雨の時も崩れることなく、村に安全をもたらしました。

それからしばらくしてのこと、夜になると堤の方から、
「トントンパタリ、トンパタリ」とはたを織る音が聞こえるようになったそうです。

「不思議なこともあるものだ」
「いやいや、おくらが寂しがっているのかもしれぬ」
「おお、そうに違いあるまい」
村人たちは皆でそう話し、堤を見下ろせる近くの丘でおくらを慰めるために盛大なお祭りを開きました。
皆の思いが水底のおくらにも届いたのでしょう、それからというもの機を織る不思議な音は聞こえなくなりました。

村人たちはこの堤を「おくら堤」と呼んで大切にしました。
そして、この地を大倉と呼ぶようになったのもこの「おくら」に由来するそうです。

本文註

※1)出水=でみず
大雨などで河川等が急に増水して氾濫すること。洪水 。

※2)人柱=ひとばしら
城・橋・堤防などの困難な工事の際、神の心を和らげる生贄として、生きた人を水底や地中に埋めることで人柱を立てるなどという。
または、そのために埋められた人。

おくら堤伝説の解説

場所 山形県村山市大倉
時代 不明
話型 人身御供譚

人柱について

けなげなおくらの思いは村という共同体を救った。
人柱に関する伝説も日本各地に多く残され、堤だけでなく、橋や城などの建設にあたって語られている。
参考にした「やまがた伝説考(烏兎沼宏之)」によれば、山形県新庄市金沢にある「おけさ堤」にも同様の話が伝わっており、月のきれいな晩にすすり泣く声が聞こえているという。

また人柱を単体で考えることも必要だが、話型にも分類した通り人身御供譚の中でも考えなければならない。
ただしこれには少し注意が必要で、神話学者の高木敏雄は人柱は神を鎮める供物ではなく人身御供とは異なるとする一方、南方熊楠は神に捧げられる生贄が人柱として紹介していることを上げておこう。

人柱を一つのテーマとして取り扱い、別掲で紹介していきたいのでここでは深く触れないことにする。

村一番の美人

自身の野外調査の際にも確認できたし、その他の伝説でもそうなのだが何故村一番の美人なのだろうか。

人に物語る際に聞き手に対して、悲劇性を増すためであったり、哀愁をより掻き立てるため、というのが大きな要因ではあると考えていた。
物語の悲劇の女性を演じるには村一番の美人が相応しいから、だと。

しかし、人柱が人身御供(神への生贄)として考えるとそれだけではない事に気付く。
生贄は誰でも良かったわけでなくある種の聖性が求められる事が知られている、例えば旅の者や周縁の者(異なる者)、聖人(僧など)、処女性に巫覡(ふげき)の者である。
共同体にとって特殊な者が選ばれなければならぬ故、おくらが村一番の美人である(でなければならない)からこそ、堤が壊れなくなったと伝えているのだ。

人柱に立つ者も特殊な事情に寄る者が多いのがそれを裏付けるし、それらの者を人柱にする村落の闇も光もそこにある。
これは善し悪しの話でなく、かつての共同体が持っていた心性そのものではないだろうかと思い、その他多くの伝説を見ていきたいと思う。

参考にした文献及びWEB頁

書籍 烏兎沼宏之 1993年 やまがた伝説考 物語る村々を歩く 法政大学出版局 Pp.66-70.
電脳 Wikipedia、他
画像 山形県観光情報ポータル やまがたへの旅

伝説の周辺地図

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