沈堕の滝で蛇を助けた神主に娘が誕生
豊後国大野郡矢田村(現大分県豊後大野市大野町矢田)にある沈堕の滝(※1)は、雌雄両滝からなる名瀑として知られ、雪舟が「鎮田瀑図」を描いたことでも知られております。
さて、今回はそんな沈堕の滝に伝わるお話。
豊後国北海部郡関村(現大分県大分市佐賀関町※2)にある早吸日女神社(※3)の神主を務めていた関家の夫婦には子供がなく、つねづね神に「子供を授けてほしい」と願い続けていた。
ある春の頃。
神主が所用で大野郡へと出かけ、この沈堕の滝近くを通りかかると、子供たちが一匹の蛇を捕えて殺そうとしているのに出会う。
それを哀れに思った神主は、子供たちに頼んで蛇を助けてあげた。
神への願いが通じたのかその年の暮れになって、夫婦にはかわいい女児が生まれた。
神主夫婦は大喜びで大事に育て、成長するにつれ娘はますます綺麗になっていった。
ある夜、一緒に風呂に入っていた母親が、娘の背中に不思議なものを見つけた。
目を近づけよく見れば、三枚並んで怪しく光る鱗である。
「なんとしたことか。かわいい娘の身に鱗などがあっては……」
そう憂いた母は、神に念じながら一枚ずつ剥いでいった。
さあこれで一安心と思っていると、何日か経てば再び三枚の鱗が並んでいる。
剥いでも剥いでも三枚の鱗は元通り。
ついには親子ともあきらめて、そのままにしておいた。
数年後、娘も花の盛りとなった。
龍となり滝へと帰る愛娘
ある嵐の夜、神主宅の戸をたたく者があり、母が出てみると女の六部(※4)である。
「旅の者ですが、嵐にあって困っています。どうか一夜の宿をお願いします」と乞うてきた。
母は六部の目に薄気味悪いものを感じ柔らかく断ろうとすると、
「母様、この方を泊めてあげて」
そこへ娘が出て来て頼みこんだ。
翌朝に嵐はおさまったが六部は起きてこず、部屋をと見ればもぬけのからだ。
「なんという失礼な人じゃろ」
母が腹立たし気に言うのを娘は俯いて聞いていた。
暫くして娘は、何か決心した表情で両親の前に畏まり、驚くべき事を語り始めた。
「父様、母様。私は縁あって娘としてこの家に生まれましたが、実は以前に沈堕の滝のほとりで父様に助けられた蛇の化身でございます。昨夜の女人は滝からの使いの者で、すぐ滝に帰ってほしいとのことでした。お別れは悲しいのですが、お許しください」と。
神主夫婦の驚きと嘆きはいかばかりだったろう、ただただ唖然とするばかりだった。
それでも、娘の背には不思議な三枚の鱗があること、さらに神主本人さえ忘れていた蛇の助命を知っていることなど、どうもでたらめとも思えない。
そうであるならば、と神主夫婦は覚悟を決めねばならなかった。
娘の髪に母の嫁入りで使った赤い櫛をのせ、晴れ着で着飾り、夫婦は駕籠で沈堕の滝まで送っていった。
滝のそばに三人佇み、涙ながらに別れを語り合った。
そして娘は、
「父様、母様、お世話になりました。御恩は忘れません」
といい、名残惜しそうに二人をじっと見つめたが、一つ小さく礼をするとその身を滝壺へと踊らせた。
神主夫婦は立ち去り難く、時が経つのも忘れじっと滝壺を見つめていた。
漸くあきらめもつき、帰ろうとした時だった。
突然、水面が逆巻くと、渦をかき分けるように娘が姿を現し言葉を発した。
「父様、すみませんが腰の刀をお貸しください。滝壷には、すでに別の主がおりました。それを成敗しなければ、私がこの滝で龍になることができません」と。
神主が刀を与えると娘は口に咥え、滝壺へと姿を消した。
やがて不気味な音が響き渡り、水底から赤い血の水がわき上がってきた。
神主夫婦は心配になり、声を限りに娘の名を呼んだ。
すると、刀を口に咥えたみごとな龍が水面に姿を現し、
「父様、母様、一年に一度かならず会いに参ります」
そう言うと、神主夫婦に深く頭を下げて水中に消えた。
澱んだ滝壺の水がふわりと揺れたかと思うと、刀と赤い櫛が浮かび上がったという。
それから毎年一度、六月の大祓(※5)の日になると、龍になった娘が沈堕の滝から大野川を下り、関村にある早吸日女神社の宮の池に姿を見せるという。
神主夫婦を懐かしみ神社で一夜を過ごすのだそうだ。
爾来、この日は雨が降らなくても竜の川下りで大野川の水は濁るという。
川べりに住んでいた子どもらは、霞み棚引く夏の雲のもと「いま龍が渡る」と拝したそうだ。
本文註
※1)沈堕の滝
大分県豊後大野市大野町矢田にある
雄滝は高さ約20m、幅約100mで、雌滝は高さ約18m、幅4mである。柱状節理が並ぶ景観は見事。
『豊後国志』によると、沈堕の滝の滝壺は危険な場所であり、「淵の深さは測るべからず」との記載もある。
今も滝の近くに「岡藩滝落としの刑場跡」があるが、これは同所を領していた豊後国岡藩の裁きで、罪状が決まらない被告人を百叩きの上「沈堕落とし」とし、無事に泳ぎ抜けたら神慮として無罪放免するというものであった。
これで助かったのは一人だけだったという。
※2)佐賀関町(さがのせきまち)
現在は大分市と合併し、大分市佐賀関町となっている。
全国に知られる関アジ、関サバはこの地から。
※3)早吸日女神社(はやすいひめじんじゃ、はやすひめじんじゃ)
速吸日女神社とも記し、別名は、「関の権現様」。
八十枉津日神(やそまがつひのかみ)、大直日神(おおなほびのかみ)、住吉三神(底筒男神(そこつつおのかみ)、中筒男神(なかつつのおのかみ)、表筒男神(うはつつのおのかみ))、大地海原諸神(おほとこうなはらもろもろのかみ)を祀る。
速吸の瀬戸(豊予海峡)から瀬戸内海にかけて残される神武東征譚にも記され、それにかかる縁起を持つ。
※4)六部(ろくぶ、りくぶ)
六十六回写経した法華経を持ち全国六十六箇所の霊場をめぐり、一部ずつ奉納して回る巡礼僧をいう。
六部とは六十六部の略である。
白い着物に、手甲、脚絆、草鞋掛け、背中には仏様をおさめた龕を背負い、鉦を叩きながら旅をしていたという。
※5)大祓
ここでは民間行事に絞っておく。
毎年の犯した罪や穢れを除き去るための除災行事として定着。
六月と十二月の晦日に行われ、六月は「夏越の祓」(なごしのはらえ)、十二月は「年越の祓」(としこしのはらえ)などともいう。
特に六月は「夏越神事」、「夏越大祭」、「夏祓」、「六月祓」などとも呼ばれ「茅の輪くぐり」をする神社も多く、広く親しまれている行事でもある。
沈堕の滝 龍伝説の解説
場所 大分県豊後大野市大野町
時代 不明
話型 竜蛇変身譚
龍の残した刀と赤い櫛
この話中では『刀と赤い櫛』を残した形式を採用したが、龍が何も残さないパターンもあったことは記しておく。
もちろん意図的であるが、何かお気づきになっただろうか、昨今では失われているであろうあるサインと少しだけ重なることに。
とある名所の水辺や切り立った場所に、草履か靴が揃えたままポツンと置かれていれば、古い人ならば何が起きたかは理解できるだろう、そう入水や飛び降りのサインである。
ところで、この草履や履物には呪力があったと人々に信じられていた節がある。
①畑や田んぼに竹を突き刺し、その上に草鞋をかけて厄除けにする。最近ではゴム草履を使う人も居る(高知県高知市)
②不吉な場所(村落内)にて後ろを向いたまま、片方の草履(もしくは履物)を投げやると悪いものが取れる。(大分県竹田市)
という事例を野外調査にて得ており、同様な呪いを知っている人もまだまだ多くいるだろう。
これは、人々が草履(履物)には呪力があり、悪いもの(魔)を祓う力が宿っていると考えていた節があるということだ。
履物を揃えて死に臨むのは、もちろんながらここで「生を終えます」というサインであるとともに、この世において魔を祓う呪力を必要としなくなったことも意味しているのだろう。
履物の呪力は、長くなるので詳細は別の機会に記したい。
さて、話を「刀と赤い櫛」に戻すと、娘は無事滝に住み着いた主を倒して龍となり、現世の住人から別世界への住人になる時が来たのである。
現世の父と母から得た「刀と赤い櫛」を持ったまま、別世界の住人にはなれないということの象徴ではないだろうか。
最後に沈堕の滝と早吸日女神社が何故関連付けられているのかが気になる点だ。
また、岡藩の「沈堕落とし」とキリシタン関連も別枠になるが今後の研究考察で何かわかるとありがたい。
参考にした文献及びWEB頁
梅木秀徳・辺見じゅん 1980年 日本の伝説49 大分の伝説 角川書店 Pp.197-200.
梅木秀徳 1974年 大分の伝説上巻 大分合同新聞社 Pp.180-183.
電脳 Wikipedia、他